Q.E.D.

わたしたちがひとを愛したり誰かを好きになるように好きなアイドルにも大切にしたいひとがいる世界について。
ひとによってはこういう話題が苦手な方もいるとおもうし、とくべつ文章がうまかったりおもしろいお話でもないのでみなさんそれぞれで自衛をお願いいたします。


今年もはちゃめちゃに最高な嵐のライブツアー「untitled」も中盤にさしかかりあいばちゃんさまのお誕生日まで1週間。今日も楽しいよねっていつものようにおともだちとにのみやくんのベイストームをきいていたタイミングであいばちゃんの熱愛がインターネットでほのめかされたことを知りました。

週刊誌やネットの記事でこういう話題を知ってしまうことが良いか悪いかという議論は別にして、わたしたちが懸命に働いてあるべき場所に帰り安堵するのとおなじように、嵐がよりどころにしている場所は安心とぬくもりばかりがある場所であってほしいし、わたしたちが誰かを愛おしいとかんじるように、好きなアイドルが大切なひとに愛をもって接していたらそんな素敵なことってないなっておもわずにはいられない。そのきもちはたぶんこれまでたくさんのすばらしい時間と愛をわけあってきた大切な友達の祝福をささやかによろこぶことに似てる。それがひとによってはさまざまなかたちで関係性を築いてきた恋人だったり恩師だったり戦友だったりするのかもしれないけど。ただただシンプルにそうおもいました。このきもちは週刊誌やネットニュースがアイドルの熱愛をこぞって話題にしなくたって、わたしが嵐に出会った頃から嵐に対して常に持ち合わせている感情です。

一方で、火のないところに煙はたたぬとファンがざわつき、自分の価値観やものさしでアイドルがなんたるかと教えを説き、裏切りだと紛糾するものもいれば、あいばちゃんは気にしいだからわたしたちが守ってあなきゃね!なんて声があがる。自分の感情とのずれがひどすぎてとてもこわくなった。熱愛がでたとしてもあいばちゃんがそこまで糾弾されないのはあいばちゃんの人徳だよねって、まるであいばちゃんが道徳の教科書みたいに扱われていることにびっくりする。そのことばの裏に、あいばちゃんは真っ当なアイドルなんだからファンががっかりするようなことなんてしないよね?っていうことばの鎖を感じて愕然とした。他のメンバーの熱愛を引き合いに出して比べるようなことばじりに、こんなにひどいことってないとおもった。もちろん、そういう表現ばかりでないことは大前提とした話。これはわたしが感じたことでしかないし。そして、わたしみたいな考え方がおおくないことは感じているから自分のことが正しいなんてこれっぽっちもおもってないです。いろんな情報や出来事に一喜一憂して、ときには傷ついてそれでも好きだから、ファンを続けているひとなんてきっとたくさんいるし、そんなのはもう無理ではなれていったひとだってたくさんいるとおもう。そうやって自分と好きなアイドルの距離感をはかってみんなファンをしてるんだとおもう。

ファンそれこそ星の数ほどいるのでそりゃアイドルに求めるアイドルの定義も好きな人を好きでいる方法も日常も数えきれないほどある。自分の感覚ではまったくおしてはかりきれない思考回路が無限にある。でもそんな風にアイドルは何たるかを説く他人の倫理観よりも、いままでわたしにたくさんの楽しいとしあわせを与え続けてきてくれたあいばちゃんのきもちのほうが100万倍だいじだよ。アイドルを好きでいることでたくさんの種類の感情がうまれること否定はしない。でもわたしのこの手の中にありあまるきもちをわたしが知っている公式ですなおにときほぐしていくと出てくる解は、嵐にもらったたくさんのものしかない。嵐を好きでうれしいとか楽しいとか嵐には健康第一でずっと笑っていてほしいとか。ずっとずっとシンプルでわかりやすい感情だ。

だからちょっとばかし嵐のことをすきすぎるわたしは、今日もだいすきな嵐の曲をきく。コンサートDVDをみる。好きなひとたちと雑誌を読んでFC動画のかわいさにほおをゆるませ自分たちがどんなに嵐が好きかということについて話に花を咲かせる。こんなことで悪いほうに変わりはしない日常を楽しいものにするために、今日も嵐にもらったたくさんのもので自分のご機嫌をとるのです。


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